回想                
懐かしいテレビを語りながら思い出の日々を振り返る、実に在り来たりな発想で始まるこの企画、 どこまで続くか知らんけど(飽きたらやめる)とりあえずやってみる。であるから語っていく話の事実 関係は定かではない、私の持っている資料(頭の中)で勝手に進めさせてもらいます。今後語る内容にご 意見ご感想がある場合はどんどんメールを頂きたい、それらを参考に良い内容になれば幸いです。 さて、何から話そうかと考えましたがやはり我ら青春に大きく影響を与えた(はず)あのテレビドラマ、昭 和49年10月5日〜昭和50年3月29日まで日本テレビ(土曜10:00)で放送した『傷だらけの天使』しかない と言う結論に達しましたのでこれから進めていく。気付いてる方もいると思うが「駒友ホームペ ージ」のトップ画面に流れる音楽は『傷だらけの天使』の挿入曲で「天使の情景M2」を使用している。印象深い番組としての意味には「挿入音楽」も大きく影響しているだろう、そして担当しているのが井上堯之と大野克夫の両氏であるが『太陽にほえろ』の作曲でも知られているしショーケンは彼らを好んで起用(『傷だらけの天使』の担当はショーケンの指名によるものだと聞いている)している、彼らはPYG(ピッグ)と言う元バンドメンバー
だった事も影響しているのだろう、またそれ以前の井上、大野氏はザ・スパイダース(堺正章、井上順がいたバンド)に所属していた。
当時 伝説的ドラマとなった背景には当時若者に絶大なる支持を得ていたショーケンと最初は誰だか分らないほど 無名の水谷豊(彼の演技は抜群!まさに適役)との掛け合いや生き方そのものに我々がハマっちゃったって感じ なのだろうか、しかも最初はショーケンのドラマと思ったが脇役たちの個性豊かな演技がどんどん 話を面白くしていったのを思い出す。アキラちゃんがどうだった、辰巳さんはこうだ等々、また毎週出てくる ゲストも面白かった、このあたりの話は放送内容の中で詳しく話したい。 それにしても当時のショーケンは良かった、『太陽にほえろ』『くるくるくるり』『前略おふくろ様』『祭りばやしが聞こえる』 と若者の「気持ち」や「考え方」をよく理解した役柄で私たちを魅了していったのではと思う。また共演者も 良かった、誰が配役したのか皆適役だったと思う、またショーケンと共演すると売れると言うのも 定説になった、水谷豊、桃井かほり、川谷拓三などは後に主役演じるほどの大出世した、まあ本人の実力である 事は言う間でもないがショーケンの影響も少なくないと私は確信している。しかし晩年(今も)のショーケンは頂けない ショーケン(若者のカリスマ)から俳優萩原健一への脱却がうまく出来ないまま来てしまった、ショーケンのポジション は確立されていたけど俳優萩原健一はイメージを定着させられなかった、と言う事になるのか、兎に角良くない。 大河ドラマ『利家とまつ』の明智光秀役は「なんだありゃ!?」って感じで情けなくって見てられなかった、まあ 現在の話は寂しくなるので元に戻すが、当時私たちは中学2年生でその頃何故か我々の間で『紅白歌のベストテン』や『スター誕生』の 公開放送を見に行くのが流行っていて『紅白歌のベストテン』を見に行った時(たしか9月)、渋谷公会堂の正面 玄関に 『傷だらけの天使』のスタート案内があり、それで知ったのを覚えている。『紅白歌のベストテン』と言えば 月曜PM8:00から生中継でやっていて火曜日に次週分のチケットを渋谷公会堂で配る(無料)ぐあいになっていた、たしか昼休み抜け出してチケットを貰いにいったのを覚えているが女生徒もいたはずです、覚えてる人がいたらメール 下さい。何週も続けて見に行ったのを記憶している(あんときゃ楽しかった!) てな訳で10月5日(土) PM10:00『傷だらけの天使』第1話「宝石泥棒に子守唄を」のスタートとあいなります...つづきは次回のお楽しみに 。